会 社 案 内
商 号 |
アンカーマン株式会社 |
代表者 |
山 本 君 一 |
所在地 |
〒257-0021 神奈川県秦野市蓑毛346番地の3(事務所) 東京都世田谷区駒沢(本社) |
連絡先 (TEL/FAX) |
0463-80-3346 090-2135-9345 |
資本金 |
1,000万円 |
設立日 |
昭和57年(1982年)2月27日 |
従業員数 |
2名(2022年2月現在) |
取引銀行 |
スルガ銀行、日本政策金融公庫 |
製 品 情 報
1.SBDカー(レースカーキット)輸入・販売・レンタル ① ストック部門用カーキット ② スーパーストック部門用カーキット ③ マスター部門用カーキット ④ スーパーキッズ部門用カーキット ⑤ 大人用カーキット
2.地球のチカラで走る!SBDモックカー(SBDレースカーの約1/10モデル木製シャシとタイヤ、紙のシェルからなるミニカーキット)の企画・製造・販売 ① レギュラーキット ② 交通安全のおまもりキット 2-1.モックカーコースとタイムアタックレース用計測器の企画・製造・販売・レンタル
3.SBDロゴ入りノベルティの企画・製造・販売 |
役 務 情 報
1.SBDカーキットの組付け代行やカラーリング一式
2.SBDカーの点検・整備
3.SBDカーやキットを用いた催事等の企画・運営 ① 乗ってみようSBD ② SBDでタイムアタックに挑戦 ③ SBDチェック&ゴー(整備点検体験) ④ ケン忍丸とテン子姫のSBD_STEM教室
4.モックカーキットを用いた催事等の企画・運営 ① 作って競うモックカー ② つくる君&リカちゃんと考えるSTEM教室 ③蓼科山聖光寺さんとにっこりかえる交通安全 ※ 世界初!自分で作るおまもり ※ 主に物流会社協力の下、大型トラックを用いた交通安全啓発活動 ※ 蓼科山聖光寺とは:トヨタ自動車が50年前に建立 トヨタグループ、トヨタ協力会社が支援する交通安全のみを祈祷する教場
5.受託業務(NPO_NSBDの事務・事業代行) ① 事務局 ② オウンドメディアの企画・制作・運営・管理 ・年次報告書 ・各活動報告書 ・公式サイト ・ランディングページ ・YouTube配信 ・その他 ③ ウグイスの巣(NPO_NSBD本部の庭)の活用企画・運営・管理
6.その他の事業 ① 国際Gravity Sports/重力スポーツ™推進委員会 (Committee for the Advancement of International Gravity Sports) 事務局 ② 運転訓練 |
知 的 財 産
1.SOAPBOXDERBY / ソープボックスダービー ① SOAPBOXDERBY 商標登録 第4025446号 ② SOPABOX 商標登録 第4206037の1号 ② SOPA BOX DERBY 商標登録 第4510368号
2.地球のチカラで走る!ソープボックス・モックカーキット ① 教育用自動車おもちゃ(理科教室・工作教室) 実用新案登録 第3162882号 (U3162882) ② 自動車型護符(クルマ型のおまもり) 実用新案登録 第3162707号 (U3162707)
3.Gravity Sports / 重力スポーツ ① Gravity Sports / 重力スポーツ 商標登録 第6643091号 4.Gravity Car Race / 重力カーレース™商標申請中(2022年2月18日現在) |
沿 革
社名の由来
ANCHORは、古語英語で錨や頼みの綱、安定の基となるものの意。ソープボックスダービーにとって、船のイカリであり、綱引きの最後尾選手のようでありたい!との思いで付けました
1998年 |
山本君一・山本教子がソープボックスダービー(以下、SBD)に出会う |
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1999年 |
二人でオールアメリカンSBDの米国本部(オハイオ州アクロン市)を訪問。全日本の開催権を取得。日本のSBD事業がはじまる |
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2000年 |
国内でSBDを広めることを目的にアサカラSBD株式会社(現アンカーマン株式会社)を起こす(当初は仲間が少なくNPO法人や他の法人設立が適わなかったため)。SBDの商標などを取得し活動を開始
創業時メンバー オーナー 山 本 君 一(トヨタ自動車勤務 当時) 代表取締役 山 本 教 子 取締役 白 石 勝 彦(元日本インテリアデザイナー協会理事長) 取締役 町 田 登(元国連職員、元東海大学教授) 取締役 鈴 木 玲 子(元東京都立中学校教諭) 監査役 羽 成 守(弁護士) |
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2001年
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「第1回SBD日本グランプリ」(現SBDナショナルチーム選考会)を神奈川県大磯町で開催 同年夏、優勝者と共に「第64回オールアメリカンSBD国際大会」初参加を果たす 以後2003年までの間は、当社で国内の大会開催と優勝者の国際大会参加支援を行う |
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2002年 |
事務所を静岡県三島市から神奈川県秦野市蓑毛へ移転 |
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2003年 |
賛同する仲間を得てNPO法人 日本SBD(現NPO法人日本SBD協会(以下、NPO_NSBD))を設立 以後従来の活動(現在のNPO_NSBDの主事業)である国内大会の開催と国際大会の参加支援はNPO_NSBDに引き継ぎ、他のPR事業は当社とNPO_NSBDの共同事業となる 詳細はNPO_NSBD_公式サイト_沿革をご参照ください |
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2003年以降 |
NPO_NSBDと行う主な事業
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役 員 紹 介
山 本 君 一(やまもときみかず)
アンカーマン株式会社 代表取締役
1954年 愛媛県八幡浜市出身
日本のSBD創立者(1998年)
NPO法人日本SBD協会 副理事長(レース/技術担当)
元トヨタ自動車株式会社 東富士研究所 勤務(2019年3月退職)
自動車メーカー勤務47年。現役中の仕事は主に開発ドライバー
趣味も仕事も全てクルマを自他共に認めるカーキチ
40歳を過ぎて初めて父親となり、これからの子どもの教育を考えている時期、偶然 雑誌記事でSBDに出会う(ライトニング1998年11月号)
SBDについてはこの競技名は知らなかったが、子ども時代(1960年代)に観ていた海外のテレビドラマ「ちびっこギャング」をとおし、「アメリカの子どもも似たような遊びをするな」と思いながら、自身、壊れた乳母車で友人と競走して遊んでいたので、体験として知っていた
大人になり、あらためてSBDに出会い、このプログラムは奥が深い「非駆動の四輪レース」であると直感。是非、日本に普及させたいと考え日本窓口設立の中心としてかかわる
会社在職中の経歴
1973年 |
トヨタ自動車工業株式会社 入社 整備、車両官能評価、耐久試験、分解調査、高速スクリーニングなど、 現在の車造りの基礎業務に携わる |
1983年
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スポーツ系車両の開発ドライバー、現在のスープラの前進であるダブルエックスのチューニングを行う ◆特にTEMS3.0ターボ・スープラのチューニングは自慢の作品 ◆その後に出たレースグループAのベース車両、スープラ・ターボAの チューニングのすべてを行う |
1991年
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社内トップドライバー養成グループが設立され参加 以後3年間で国内の全主要サーキット走行 |
1992年
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世界初Gセンサー付ABS(スポーツABS)開発ドライバー ◆国内サーキット及び、ドイツ、ニュールブルックリンクにて最終チューニングを担当 ◆これは、当時のF‐1に取入れられても良いほどのハイテク技術であったが採用には至らず |
1993年 |
最先端技術ABS開発、TRC(トラクションコントロール)開発などの制御開発ドライバー |
1994年 |
スープラ・ターボのスロットルTRCなどを開発 |
1996年 |
アリストのVSC開発 |
1998年
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世界トップ技術のVSC開発スタッフ RVC(レクリエーション・ビークル)のオフロードTRC開発ドライバ 欧州、北米、オーストラリア、ニュージーランドと世界の道、またサーキット、オフロード、岩石路などの走行に基づき、現在のクルマ造りのノウハウを蓄積する |
1999年
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緊急回避試験(転覆試験)立ち上がり開発ドライバーを担当 ◆VSC制御開発とともに運転支援装置、安全装置の開発が先端技術として始まった時代 |
2010年
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IQの制御開発プロジェクトで北米寒冷地(アラスカ・カナダ)におけるVSC、TRC、ABSなどの確認試験と開発 |
2013年
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長年のSBD普及の活動が認められ、トヨタ自動車表彰制度にて役員表彰を受ける |
2014年-
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定年退職 同年同月 同職場 再就職 続けて制御開発に携わり、加えて後輩指導に当たる
その他の業務 ・制御ソフトの特許侵害調査(ABS・TRC・VSC) ・車両運動性の社外車調査(CAN通信を用いた調査) ・車両運動の周波数応答解析(多重正弦波を用いた新解析) |
2019年 |
トヨタ自動車株式会社 退職 |
山 本 教 子(やまもとのりこ)
アンカーマン株式会社 取締役
東京都出身
NPO法人日本SBD協会 事務局長
オールアメリカンSBD日本地域ディレクター
主な経歴
1979年 |
捜真女学校高等学部卒業 |
1983年 |
多摩美術大学美術学部日本画専攻卒業 |
1985年 |
多摩美術大学院美術研究科修了 |
1992年 |
東京ガラス工芸研究所卒業 |
過去の活動略歴(主な展覧会等)
1982年
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東京セントラル美術館日本画大賞展入選 創画展入選 |
1982- 87年 |
春季創画展入選 |
1983- 86年 |
神奈川県展入選
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1987年 |
東京日本橋高島屋 美術画廊にて鈴木教子小品展 |
1988年 |
カナダ トロント市 ルイーズ・スミス画廊にて個展 |
1989年 |
神奈川県展入選 |
1989- 90年 |
上野の森美術館絵画大賞展入選 |
1990年 |
神奈川県民ホール作品買い上げ |
1991年 |
横浜高島屋にてグループ展 |
1992年 3月 |
米国ニューヨーク市 キャストアイアン画廊にて個展
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1992年 4月 |
米国インディアナ州にあるアーラム大学にて講義を持つ
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1992年 4月 |
東京日本橋高島屋 美術画廊にて個展
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1993年 |
米国ニューヨーク市 HLW画廊にて個展 |
1995年 |
静岡県三島市にて個展 |
1999年 |
キャピトル東急ホテルにて個展 |
2000年 |
横浜高島屋 美術画廊にて個展 |
2000年 |
静岡県沼津市 ぬましんストリートギャラリーにて個展 |
2001年 |
キャピトル東急ホテル内 平成ギャラリーにて個展 |
主な美術指導歴
1983- 86年 |
米国ニューヨーク州キャッツキルにある「キャンプふるさと」 (サマーキャンプ)カウンセラー「絵画・工作・焼き物指導」 |
1985- 91年 |
絵画教室主催 |
1992年 |
米国インディアナ州 アーラム大学にて講義「日本画の材料・技法」、「私の仕事」について |
1992- 95年 |
東京都立片倉高等学校造形美術コース講師 |
1992- 96年 |
東京都公立学校公開講座講師「日本画の基礎講座」
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1995年 |
東京都公立学校公開講座講師「ガラス(サンドブラスト)技法基礎講座」 |
1998- 2002年 |
静岡県沼津市、原町幼稚園にて園児・児童対象の造形教室講師
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資 格 等
1983年 |
中学校教諭一級普通免許状、高等学校教諭二級普通免許状 |
1985年 |
高等学校教諭一級普通免許状 |
1995年 |
近茶流懐石料理 懐石講師許状 |
その他の活動歴
1968- 75年 |
ガールスカウト東京72団所属 |
1975- 90年 |
ボーイスカウト東京世田谷22団(旧東京294団)カブ隊指導者 |
1998年- |
SBDの普及活動を始める 以降の活動歴についてはNPO_NSBD_公式サイトに記載 |